『都市の医師―濱野弥四郎の軌跡』翻訳への思い

本会前代表・稲場紀久雄先生が執筆された「都市の医師ー浜野弥四郎の軌跡」が台湾版が出版されたことについては、ホームぺ時でも紹介いたしました(1月24日)が、翻訳者の鄧淑晶、鄧淑瑩ご姉妹より、翻訳への思いを寄稿していただきました。

『都市の医師―濱野弥四郎の軌跡』翻訳への思い

鄧 淑晶(トウ シュクショウ)
鄧 淑瑩(トウ シュクエイ)

 『都市の医師―濱野弥四郎の軌跡―』の台湾版は、昨年(2022年)台湾・台南市により旧台南水道給水100周年記念事業の一環として発行されました。私は、妹・鄧淑瑩と共に『バルトン先生、明治の日本を駆ける』の台湾版の翻訳に引き続き担当させていただきました。台湾版の発刊は、私達姉妹にとって何より光栄なことです。

台南市の出版計画では、翻訳期間は僅か6ケ月しかありませんでした。翻訳に当たり、幾つかの困難を乗り越えてきました。その困難とは、以下の二項目にまとめられます。
① まず字数が非常に多いこと。半年で完成できるかどうか、不安がありました。何しろ『都市の医師』の原本の20万字程度と台湾版の後書きの2万字あまり、併せて総計22万字以上です。翻訳は意訳するのか、直訳するか、多くのところで悩みました。結局、校正段階で内容を再度見直し、その都度適宜意訳を使ったり、直訳を採用したりしました。
② 内容がとても豊富で濱野さん以外に、濱野さんを囲む歴史、文化、国際情勢、日本事情など、多くの情報が必要だったこと。例えば、百年前の日本の国会開設の背景、教育の方針と方式、学校の状況、衛生面の問題などです。調べるにつれて、また、『バルトン先生』の時(注:鄧さん姉妹は「バルトン先生明治の日本を駆ける!」も翻訳されました)に蓄積した知識、例えば用語(特に土木技術用語)、地理・環境、国際環境なども役に立って、適切な言葉を選択できるようになりました。

このように幾つかの困難がありましたが、その分収穫も大きかったのです。収穫とは、次のようなものです。
① バルトン先生をはじめ濱野弥四郎らが、台湾に強い愛着を感じ、台湾のため一生懸命に努力し、水道の整備・建設を自分の使命としている真摯な姿勢に感動しました。私も見習わなければならないと感じました。また、これら先人の功績を40年近く研究し、台湾と日本との交流の根底の礎を記録していただいた原著者の精神力と強い意思に敬意を表します。台湾と日本との交流の深化を願う私達姉妹にとって良いお手本になりました。
② バルトン先生の来日経路を追加することにより、先生が日本本土に第一歩を印されるまでの長い旅路が解明されて、とても良かったです。
③ 『都市の医師―濱野弥四郎の軌跡』の台湾版の後書きによって、台湾における濱野さんの時代と現在とが繋がり、また、司馬遼太郎の「国家とは何か」とも繋がりました。現在も続いているロシアとウクライナの戦争は、台湾に警鐘を鳴らしているように思います。この後書きを通し、台湾の人々が「生命の水」や「自由」を、そして「自分達の国」を如何にして守るかという重大な問題を他人事でなく自分の問題として考えることができれば、と期待しております。

最後になりますが、『都市の医師』の翻訳の機会を与えていただいた原著者・稲場先生をはじめ、校正の蘇明通さん、多くの日本の古文の現代語訳を教えていただいた日本の友人に心より感謝いたします。また、微力ですが、少しでも台日交流の力になれば幸いです。                         (2023年2月16日攪筆)

「都市の医師」台湾版の表紙

浜野弥四郎の胸像の前にて、「日本台湾友の会」一行(2023年2月)

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です